この祭の始まりは古く、戦国時代末期(安土桃山時代)、私たちの在所である河内町を含む志州鳥羽の水軍武将であった九鬼嘉隆の命により天正19年(1591年)に始められたと伝えられています。
幼くしてこの世を去った嘉隆の甥にあたる澄隆の供養が目的であったということです。
ただ、その翌年に始められたという説もあります。
当時、天下を統一した秀吉の配下にあった嘉隆は1592年(文禄元年)に起きた文禄の役(朝鮮半島への出兵)においても水軍大将として随行していますが、その戦での戦死者を弔う為にこの祭りを始めたというのです。
始まりがどちらにせよ、発祥から400年余りの長い間、明治維新、太平洋戦争など幾多の混乱期を乗り越え今もなお脈々と続いているこの催しは、現在も発祥当時と同じ場所・隠田岡(河内岩倉共同墓地)にて古式に則って執り行われています。
歴史・文化的評価も高く、昭和62年12月28日には「志摩加茂五郷の盆祭行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
県内屈指の歴史的伝統文化行事であり、われら郷土の誇りでもあります。
※かつては旧加茂村五郷合同で行っていましたが、明治4年に各郷(各町)ごとに別れ、現在では各々単独で執り行っています。