8月7日、この日はここ河内町で生まれた男達にとって特別な日になります。
この日の出合い(共同作業の意)は「七ヵ日(なのかび)」と呼ばれ祭りの準備が開始されるのですが、若衆達はそれぞれに期待や不安、ある者にとっては憂鬱など複雑な思いを胸にこの日を迎えるようです。
朝8時前に50名強の若衆全員が柱松が沈めてある川岸に顔をそろえます。
学生生活、就業が多様化し、最近は市外、県外に出ている若衆も多く、久しぶりに顔を合わせた仲間達の間で「またこの日が来たなぁ」といった会話が交わされます。
この日は主に柱松製作の下準備をします。
3班程度に分かれ、1班は川底に沈めてある柱松を人力で引き上げ、山の上にある岡(穏田岡=お墓)までトラックで運びます。
以前はその仕事も皆で肩に担いで運び上げていたのですが、規律が徐々に緩和され自動車で運ぶようになりました。
別の班は柱松に使用する大綱を製作します。
農作業に使用するワラ縄を18本程度より合わせたものを3組作ります。
それを画像のように三つ編みによって一本にまとめます。
ちなみに、よる方向(ねじる向き)を単体と3本合わせの時に逆向きにしないと「より」が戻ってバラバラになってしまいます。
残りの1班は祭りで補助的に使用する丸太等を手分けして準備します。
寺の本堂に保管されている下鉦もその日に練習と本番の出発点になる観音堂に移動させます。
2002年8月7日